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Jリーグ・FC東京 チーム紹介

FC東京の歴史!発足~初期~中期~現在

チーム発足から現在まで

1999年にJリーグに加盟しました。
ホームタウンは東京都ですが、ホームスタジアムが調布市の味の素スタジアムなので調布市との結びつきが強いチームといえます。

チーム名のFC東京は東京のフットボールクラブとしてシンプルで誰にでもなじみやすい都民のためのクラブを目指して命名されました。

このまったく、ひねりの無い名前は皮肉にもJリーグのチーム名で最もまともな印象を受けます。

また、東京を代表するチームになりたいという目標がありますが、東京都内にはサッカースタジアムが無く、23区内の人口密集地にサッカースタジアムを建設して本当の意味で東京のサッカークラブとなることが長期的な方針といえます。

しかし、足かせとなっているのが親会社の東京ガスです。

J1クラブとして定着するまでは東京ガスの貢献が大きかったですが、公共サービスを提供する会社はサッカーへ投資することへは公共性の観点から消極的。

また、サッカースタジアム建設のためには行政との交渉力が必要ですが、行政があって成り立っているビジネスなので、行政の邪魔にならない範囲でこじんまりチームを運営してきた大都市クラブといえるでしょう。

FC東京の略称は「F東」「ガス」と呼ばれます。

マスコットキャラクターは東京ドロンパ。

東京都港区麻布狸穴町に生息していたとされるタヌキをモチーフとして、知らない間にパッと現れドロンといなくなることから命名されています。

長い坂下に雌狸の棲む大きな洞穴が 狸穴町にはあって徳川家光がこの穴について調べていたという歴史的事実がありますが、調査結果は不明。

この穴に住んでいた長寿のタヌキという設定のようです。

1999年J2に参加するとチームの半数が社員選手という陣容でありながらストライカーのアマラオ選手が活躍して2位となりJ1に昇格。

アマラオ選手はキングオブトーキョーと呼ばれチームのエースストライカーとして君臨することになります。

2000年はトゥット選手を獲得してリーグ2位となる17得点の活躍でアマラオ選手との強力2トップとゴールキーパー土肥洋一選手が中心となり7位。

2001年、味の素スタジアムが完成。

司令塔のケリー選手の補強が当たり以後中心選手へ。

2002年は原博実監督が就任。

石川直宏選手、加地亮選手の才能を見出しレギュラーに定着させ、ブラジル人センターバックのジャーン選手が中心選手となり2003年、加地亮選手、茂庭照幸選手、ジャーン選手、金沢浄選手の4バックがリーグ最少失点となる安定感を誇り4位に躍進。

世代別代表の10番梶山洋平選手がユースから昇格を果たしました。

2004年、退団したアマラオ選手の代役としてルーカス選手を獲得。

コンサドーレ札幌から今野泰幸選手を獲得。

この補強が当たってナビスコカップ優勝。

チーム初のタイトル獲得を果たしました。

2005年は加地亮選手がガンバ大阪へ移籍。石川直宏選手の大怪我が響いて年間10位に終わって原監督が退任。

2006年はガーロ監督が就任して3バックを導入してポゼッションサッカーへの転換を目指しましたが、戦術変更はチームを戸惑わせる結果となり、年間13位で終了。

チームの混乱の中で梶山洋平選手、伊野波雅彦選手、平山相太選手がレギュラーに定着して世代交代は成功しています。

2007年、原博実監督が復帰してワールドカップで活躍したコスタリカ代表のワンチョペ選手を目玉として補強するも、Jリーグの素早いテンポに合わず全く活躍できませんでした。

この年に明治大学から特別指定で長友佑都選手が加入しています。

中期から現在まで

2008年、ムービングフットボールを掲げた城福浩監督が就任。

ポゼッションサッカーへ再び挑戦します。

権田修一選手、米本拓司選手やU-17ワールドカップで城福監督の下で活躍した二人がレギュラーポジションに名乗りを挙げチームは活性化。

2009年ナビスコカップ優勝を果たします。

しかし、2010年は相次ぐけが人と長友佑都選手のセリエA移籍が響いてチーム初のJ2降格。

2011年ポゼッションサッカーはあきらめて初代監督の大熊清氏にチームの再建を託します。

4-4-2でゾーンディフェンスを軸にしながらも戦術は細かくなく、個々の裁量を大きくする代わりにハードワークできるチームとなり森重真人選手はチームの柱に成長してJ2では反則レベルの選手を保有したチームはJ2優勝と天皇杯制覇を成し遂げます。

J1に上がったチームは再びチームスタイルを変更しポゼッションサッカーを目指しポポヴィッチ監督が就任。

10位、8位と結果を出すことが出来ずに解任となりましたが、城福監督のムービングフットボールとの親和性のあったポポヴィッチ監督の就任により、ポゼッションサッカーの基盤は出来つつありました。

しかし、長友佑都選手をイタリアで指導したという理由でフィッカデンティ監督が就任。

細かい守備戦術を徹底してカウンターアタックを狙う真逆のプレースタイルに変更。

新加入のフォワード・武藤嘉紀選手がこのスタイルにフィットして守備も安定し9位。

翌年は4位に躍進します。

しかし、やっぱりポゼッションサッカーがやりたいので城福浩監督が就任、その後篠田善之監督、安間貴義監督がポゼッションサッカーへ挑みますが成績は振るわず。

2018年長谷川健太監督が就任。

守備的なゾーンディフェンスとハードワークを徹底するサッカーで躍進を遂げています。

というわけで、東京都にあるという理由で他のエンタメと競合することから見ていて面白いサッカー
をする必要があるFC東京はポゼッションサッカーを目指しては失敗を繰り返しています。

結局、都心にスタジアムを作ることができなければ、戦術をいくら変えても根本的な問題は解決しないでしょう。

首都東京にあり大きなポテンシャルを持ちながら、スタジアムが残念なチームですね。

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